養老天命反転地*15年目の夏(2010.8.22.)*
2010年 12月 30日
1995年6月3日、あたしとイヅミが初めて養老天命反転地へいったのは、雨の降る日だった。
工事中の養老天命反転地は、とても大きな校庭がお椀状に変形し、あちこちに巨大なおままごとのセットで土を盛ったみたいに見えた。セロハンテープで貼ったようなコンクリートの路がとぎれとぎれになっていて、ひょろひょろの樹が植えられ、無数の鉄骨が組まれ、クレーン車やトラックが、広いお椀のなかで、ミニチュアのオモチャみたいに走っていた。イヅミはとてもうれしそうに反転地の起伏を駆けのぼったり駆け下りたりしていた。
あたしたちは養老天命反転地のオープンに合わせて出版する書籍、『養老天命反転地 荒川修作+マドリン・ギンズ:建築的実験』に掲載する、詩を書きに来たのだ。
あたしは「養老天命反転地ガイド『ゆれる領土』」を書くために、その後幾度も反転地とその周辺、養老公園や養老の滝などを訪れた。
あれから15年。
荒川修作さんは、死なないために作品を作り続けながら、宇宙(そら)へ散り、重力から自由になり、風となってあちこちに現われた。
2010年8月22日、あたしは養老天命反転地へ足を踏み入れた途端、涙がとめどなくあふれ、立っていられなくなってしまった。
「やぁ君、よくきたね!」風に声が混じる。
バッタが跳びはね、薄灰色の蝶が飛んでいる。
歩かなくては。
ものすごい暑さだ。
暑さで焦点が定まらず、どちらへ歩いて行ったらいいのかすら、判断が付かない。
ひょろひょろだった樹は大木になり、養老天命反転地はジャングル化している。
銀色に輝く日本列島がみえない。
点在する建築物がみえない。
近くに行かなければ、何がどこにあるのかまるでわからない。
結局あたしは、1時間もいることができなかった。
あんなに歩き回った養老天命反転地の斜面は、暑さで焼け石のようで、覆いかぶさる樹木は視界を遮り、ほとんど見渡すことができない。どんなに探しても、「切り閉じの間」の入り口をみつけることができない。
あちこちで白いユリが咲いていた。
養老駅で線路を撮った後、車内でこれまでの写真をみようとカメラを手にすると、カメラは壊れていた。
さようなら、養老天命反転地。
でも、とあたしは思う。
あたしが撮りたかったのはこんなんじゃない。
必ず、養老天命反転地があるうちに、また来るから。
必ず。
by riz-blank | 2010-12-30 20:41